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茂木町役場サイト内検索結果で検索した結果371~380件目/5359件
銅造観音勢至菩薩立像・脇侍(2躯)

善光寺式三尊仏の脇侍銅造観音勢至菩薩立像・脇侍(2躯)銅造観音勢至菩薩立像・脇侍(2躯)昭和34年3月13日指定 ◆所在地:茂木754番地/安養寺 ◆形状:像高33.5cm ◆形態:金銅鋳造仏 ◆年代:鎌倉時代 両菩薩は善光寺式三尊仏の脇侍で、ほぼ同型の金銅鋳造仏で、白豪、彫眼、日輪光背を有し、宝冠の各面には華麗な宝相華唐草紋様がある。異なる点は、手相と八角形の宝冠の

松倉山観音堂仏像

松倉山観音堂仏像松倉山観音堂仏像昭和33年4月25日指定 ◆所在地:山内4203番地/松倉山観音堂 (写真左から) A:木造聖観音菩薩立像 B:木造聖観音菩薩立像 C:木造十一面観音菩薩立像 D:木造観自在菩薩立像 E:木造十一面観音菩薩立像 ◆像高 A:102cm、B:188.5cm、C:166cm、D:182.3cm、E:181.4cm ◆形態 A:寄木造、玉眼、B:

木造丈六阿弥陀如来坐像

惟空上人が応永13年(1406)室町時代に再興されたもの木造丈六阿弥陀如来坐像木造丈六阿弥陀如来坐像昭和36年5月6日指定 ◆所在地:北高岡425番地/安楽寺 ◆形状:像高273cm ◆形態:寄木造、彫眼、二重白亳、内刳 ◆年代:応永13年(1406) 丈六とは身の丈が一丈六尺(4.84m)あるという意味で坐るとその半分の八尺(2.73m)になるのである。見上げると巨

木造十一面観音菩薩立像

端正さとのびのびとした力が見られる鎌倉時代後期の仏像木造十一面観音菩薩立像木造十一面観音菩薩立像昭和38年11月1日指定 ◆所在地:小貫968番地/愛宕神社 ◆形状:像高142cm、台座高30cm、肩幅43cm ◆形態:寄木造、彫眼、素地像 ◆年代:鎌倉時代後期 木彫りの立像にして、頭上仏十一面は挿込み、全部備わっているが、面部の磨滅が甚しい。頭部は耳の後方にてはぎ、

紙本墨書小深検地帳

田畑を一筆毎に測量し、面積と等級、地目を定めて石高を公定したもの紙本墨書小深検地帳紙本墨書小深検地帳昭和32年2月15日指定 ◆個人所有 ◆形状:縦35cm、横24.5cm ◆文禄検地帳:正副2冊 ◆万治3年検地帳:2冊 他21冊 計25冊 ◆年代:文禄3年(1594)、万治3年(1660) 文禄3年(1594)から、石田三成のもとで常陸、佐竹領の検地が行われた。

山内上組百堂念仏

松倉山観音堂の入仏式に百堂念仏を奉納されたのが、始まりであるとされる山内上組百堂念仏山内上組百堂念仏昭和60年10月8日指定 ◆所在地:山内上組百堂念仏保存会 ◆年代:天明2年(1782) 山内上組は、那珂川水系八反田川の上流にある。百堂念仏の由来については、明らかではないが、古老の伝えによれば、天明2年(1782)に、松倉山観音堂の入仏式に百堂念仏を奉納されたのが、始まり

細川家の墓所

能持院の左側奥の杉木立のなかにある茂木藩主の墓所細川家の墓所細川家の墓所昭和51年4月13日指定 ◆所在地:塩田226番地/能持院 ◆規模:東西27.0m、南北11.8m、面積318.6m2 ◆形態:宝篋院塔1、石燈籠13 能持院の参道正面に本堂、右側に庫裏、左側奥の杉木立のなかに茂木藩主の墓所がある。初代興元から9代興貫まで、墓石を設けず墓標として1本の杉を植え、廟前に

千本城跡

那須資隆の子、千本十郎為隆が建久6年(1195)に築城千本城跡千本城跡昭和45年2月13日指定 ◆所在地:町田1712番地ほか/羽黒神社ほか ◆規模:標高250m、東西90m、南北370m 自然の地形を利用して築いた典型的な山城である。那須資隆の子、千本十郎為隆が建久8年(1197)に築城したという。別名を須藤城とか教ヶ丘城ともいう。 城郭は標高250mの山頂で、東西9

覚成院のカヤ

成育につれ根元が合着して同根のようになっているので「双子のカヤ」ともいわれる覚成院のカヤ覚成院のカヤ昭和37年1月9日指定 ◆所在地:茂木802番地/覚成院 ◆推定樹齢:約500年 ◆大きさ:樹高32.0m、目通周囲6.2m ◆枝張り:東西21.0m、南北21.0m 本来2本並べて植えたものが、成育につれ根元が合着して同根のようになっているので「双子のカヤ」ともいわれ

荒橿神社のケヤキ

大同元年(806)の創建された荒橿神社の樹齢800年のケヤキ荒橿神社のケヤキ荒橿神社のケヤキ平成2年1月26日指定 ◆所在地:小井戸325番地/荒橿神社 ◆推定年齢:約800年 ◆大きさ:樹高25.5m、目通周囲6.2m ◆枝張り:東西25.0m、南北21.0m ケヤキは、ニレ科の落葉高木で本州各地に広く分布し大木となり、昔から硬い良材の代表とされ、家や社寺の建築に用