| 町長の日記 6月30日号 県内にクラスター発生町長の日記 6月30日号町長の日記 6月30日号 新型コロナウイルスの感染者が日に日に増えてゆく東京を見ながら、「自分の足元も気を付けなければいけないな」と思っていた矢先、宇都宮市の接待を伴う飲食店で県内の10代から30代の男女8名が一気に感染したというニュースが飛び込んできた。県は県内初のクラスターと判断し、接触の可能性がある従業員や利用客を幅広く検査し、さらなる感染拡大を防 |
| 町長の日記 7月1日号 輪くぐり町長の日記 7月1日号町長の日記 7月1日号 6月30日は「八雲神社の茅の輪くぐり」。コロナの影響とあいにくの雨で人出も例年に比べて少なかった。 露天商も10軒ほど店を張っていたが、どうにも気勢が上がらないように見えた。また、例年商工会が中心となって開催する「朝顔・ほおずき市」も今年は中止となり、ここ数年の中で最もさみしい「輪くぐり」となってしまった。 私は例年だと茅の輪をくぐりな |
| 町長の日記 7月2日号 限界集落 消滅せず町長の日記 7月2日号町長の日記 7月2日号 全国農業新聞の記事によれば、限界集落と認定され「10年以内に消滅の危機にある」とされた集落のうち、実際に無くなったのは1割で、9割は予想を覆して存続しているという。消滅の主な原因としては、住民の自発的な移転などの自然消滅のほか、災害による集団移転などである。 これらの調査結果は、消滅自治体と呼ばれるような条件不利地であっても地域住 |
| 町長の日記 7月3日号 レジ袋の有料化がはじまった町長の日記 7月3日号町長の日記 7月3日号 レジ袋の有料化が始まった。以前から海洋汚染などの原因としてプラスチック製買い物袋の過剰使用が取り上げられ問題になっていたが、7月1日より国の関係省令の改正により有料化が義務付けられたのだ。 1日の朝、出かけようとする私のカバンに妻がマイエコバックをひとつ入れてくれた。「これは、ある意味、今話題の『新しい生活様式』だな」など |
| 町長の日記 7月6日号 加速するテレワーク町長の日記 7月6日号町長の日記 7月6日号 新型コロナウイルス騒動により、私たちの生活は大きく変わろうとしている。その1つがテレワークの加速、拡大だ。感染拡大防止のための措置として取られたテレワークだが、実施されてみると不安視されたほどではなく、逆に慣れてくると非常に能率的なのではないかと感じてきている人が増えているという。企業経営者の中にはテレワークで仕事が済むならば都心に大 |
| 町長の日記 7月7日号 熊本県芦北町が心配だ町長の日記 7月7日号町長の日記 7月7日号 熊本県南部を記録的な大雨が襲い、河川の氾濫や土砂崩れなどに大きな被害が出ている。死者は44人に上る。私が特に心配しているのは熊本県芦北町だ。10年ほど前、茂木中学校建設の折に地元の木材をふんだんに使った学校として全国的に高い評価を受けていた芦北町立佐敷小学校を職員と共に視察に行かせて頂いたのだが、その後、茂木中学校建設に当たっては有 |
| 町長の部屋 12月17日号 ミャンマーからの青年町長の部屋 12月17日号町長の部屋 12月17日号 先日このブログで「改正入国管理法」について取り上げさせていただいたが、実は逆川地区の美土里農園にもミャンマーから2人の大学院生が農業研修を目的に来町しており、近くの貸家を借りて頑張っている。共に22歳のサイ君とライン君(正式な名前は何度聞いてもわからない)だ。日本語は日常会話には支障がないほどには話すことができる。美土里農園 |
| 町長の日記 7月8日号 町長の日記 7月8日号町長の日記 7月8日号 大田原市に住む義妹が大量のラッキョウを届けてくれた。夕食のあと、妻が綺麗に洗ってザルにあげたラッキョウの根っこを切る作業をはじめた。女性とは何と根気強いものなのかと感心して見ていたが、結局私も手伝うこととした。 やってみると二人で世間話をしながらラッキョウを剥いているのも悪くはない時間だなと思うようになってきた。 そして、ラッキョウだけでなくこ |
| 町長の日記 7月9日号 ふみの森もてぎ叢書2「精選 ふるさとの詩歌」町長の日記 7月9日号町長の日記 7月9日号 ふみの森もてぎ叢書2「精選 ふるさとの詩歌」を読んだ。前館長の関誠二氏の編集によるもので、「古事記」「万葉集」など遠い昔の歌から近代の文芸や歌謡に至るまで、日本の多様な詩歌の中から「ふるさと」に関する作品を選んで、一冊の本にまとめたものである。 関前館長は巻頭の言葉で「未来に向けてふるさとを見つめなおす機 |
| 町長の日記 7月10日号 生井薬師堂町長の日記 7月10日号町長の日記 7月10日号 8日の午後、生井の薬師堂の屋根が強風により吹き飛んだという知らせを受けた。あわてて現地に駆け付けると、薬師堂の屋根は数十メートル先の畑にまで飛ばされ、堂の中は雨により水浸しの状況であった。区長さんが近くの大工さんに連絡し、応急措置のブルーシートをかけてもらったという。 生井薬師堂には悲しい物語がある。1585年(天正13年)、千本家城 |