町長の部屋4月18日号
救援物資と義援金を持って相馬市に行ってまいりました
4月15日(金)に救援物資と義援金を持って、福島県相馬市に行ってきました。今回の大震災で、茂木町は二宮尊徳ゆかりの自治体として、昨年「報徳サミット」でお世話になった相馬市に、すでに4回の町民の皆さんからの善意の救援物資を送り、今回は5回目となりました。
相馬市は市役所周辺の市街地については、地震でくずれた家屋が数件ありましたが、その他は、目立った被害は見当たりませんでした。しかし、そこから2~3キロの海沿いに行ってみると、風景が一変し、津波の爪あとが今でもそのままに残っていました。船が道路にまで打ち上げられており、海の中には数百メートルも流されてきた家屋がありました。テレビの映像そのままでした。
また、地盤沈下の影響なのか、道路と水面の高さの差が30センチほどしかないような状況になっていました。そして、1か月がたった今でも跡片付けは、遅々として進んでいないように見えました。
市長さんにお会いすると、このたびの茂木町の善意に深い感謝の言葉が幾重にも述べられました。私は、ただ、「頑張ってください」としか言えませんでした。
相馬市の人的被害は、死者約400名、行方不明約100名、この中には小中学生が9名含まれているということでした。別れ際に市長さんが「ありがとう、大丈夫だ。相馬は必ず蘇るから。今は嘘でもいいから、ともかく元気を出して行こうとみんなに言っている」と、目を真っ赤に腫らしておっしゃられましたが、返す言葉がありませんでした。私は、ただ、頑張って欲しいという想いをこめて、握手をした手に力をこめて握り返したのでした。
相馬市を含めて、被災された全ての地域の一日も早い復興を願わずにはおれませんでした。
相馬市は市役所周辺の市街地については、地震でくずれた家屋が数件ありましたが、その他は、目立った被害は見当たりませんでした。しかし、そこから2~3キロの海沿いに行ってみると、風景が一変し、津波の爪あとが今でもそのままに残っていました。船が道路にまで打ち上げられており、海の中には数百メートルも流されてきた家屋がありました。テレビの映像そのままでした。
また、地盤沈下の影響なのか、道路と水面の高さの差が30センチほどしかないような状況になっていました。そして、1か月がたった今でも跡片付けは、遅々として進んでいないように見えました。
市長さんにお会いすると、このたびの茂木町の善意に深い感謝の言葉が幾重にも述べられました。私は、ただ、「頑張ってください」としか言えませんでした。
相馬市の人的被害は、死者約400名、行方不明約100名、この中には小中学生が9名含まれているということでした。別れ際に市長さんが「ありがとう、大丈夫だ。相馬は必ず蘇るから。今は嘘でもいいから、ともかく元気を出して行こうとみんなに言っている」と、目を真っ赤に腫らしておっしゃられましたが、返す言葉がありませんでした。私は、ただ、頑張って欲しいという想いをこめて、握手をした手に力をこめて握り返したのでした。
相馬市を含めて、被災された全ての地域の一日も早い復興を願わずにはおれませんでした。

相馬市長の立谷さんです

あまりの惨状に言葉が出ませんでした
参考リンク
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