町長の部屋10月6日号
茂木町短歌会 歌集「あらかし」
今年もまた、茂木町短歌会の歌集「あらかし」が送られてきた。会長の松山宏意氏の巻頭の言葉の中に、「茂木町短歌会は1961年(昭和36年)堀江信二氏によって創設された」とある。今年は2011年だから、50年の歳月を積み重ねていることになる。
それにしても昭和36年といえば私が茂木小学校に入学した年である。そのときの校長先生が確か「堀江」という姓の校長先生であったが、「堀江信二氏」とはその人のことを言うのだろうか?
いずれにしても毎年この歌集を楽しみにしている。もちろん私には歌の素養などないから、一句一句の詳しい趣きや優劣などはわかるはずもない。ただ、知っている方の句の中にその方の日常や性格が垣間見られるようなものがあって、おもわずニヤリとしたり、また、深い悲しみの心情が推察されるような句に出くわすと、自分の胸も同じように締め付けられるような思いをしたりして読ませていただきながら、そうした時間の中に身を置いていること自体が心地良い。
そんな私が、昔一度だけ、短歌(らしきもの)を作ったことがある。それは、学生のころ、まだ雪の残る春の尾瀬の至仏山に初めて登ったときのこと。連なる稜線の先に、当時、自然保護のために立ち入り禁止となっていた景鶴山という山を望みながら詠んだ句なのだが、
「人入れぬ 景鶴山の頂は 悲しいまでに 天を指すなり」
という句であった。気持ちのままに書きとめたものだが、今でもその時の山の手帳が残っている。私の山の手帳は何冊かあるが、短歌のようなものは、これひとつが記されているだけだ。
自分に才がないからなのか、短歌を詠める人を、とてもうらやましく思う。
それにしても昭和36年といえば私が茂木小学校に入学した年である。そのときの校長先生が確か「堀江」という姓の校長先生であったが、「堀江信二氏」とはその人のことを言うのだろうか?
いずれにしても毎年この歌集を楽しみにしている。もちろん私には歌の素養などないから、一句一句の詳しい趣きや優劣などはわかるはずもない。ただ、知っている方の句の中にその方の日常や性格が垣間見られるようなものがあって、おもわずニヤリとしたり、また、深い悲しみの心情が推察されるような句に出くわすと、自分の胸も同じように締め付けられるような思いをしたりして読ませていただきながら、そうした時間の中に身を置いていること自体が心地良い。
そんな私が、昔一度だけ、短歌(らしきもの)を作ったことがある。それは、学生のころ、まだ雪の残る春の尾瀬の至仏山に初めて登ったときのこと。連なる稜線の先に、当時、自然保護のために立ち入り禁止となっていた景鶴山という山を望みながら詠んだ句なのだが、
「人入れぬ 景鶴山の頂は 悲しいまでに 天を指すなり」
という句であった。気持ちのままに書きとめたものだが、今でもその時の山の手帳が残っている。私の山の手帳は何冊かあるが、短歌のようなものは、これひとつが記されているだけだ。
自分に才がないからなのか、短歌を詠める人を、とてもうらやましく思う。
毎年楽しみにしている、歌集「あらかし」
参考リンク
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